俗の人として

市井の一人として
昔々、悪いことというか大人が歓迎しない行動をした場合「閻魔様に叱ってもらうよ」というような言葉を耳にした経験があります。
閻魔様は怖いものですが、愛情があるような感触です。実際にお会いしたことはないのですが、どれも目を大きく見開いているようない感じです。
そして、こちらの心の奥底にある、ちょっとズルをしたい気持ちも見抜いているように感じるのは、こちらの思い過ごしですがね。
またズルをしたい気持ちを戒めてくれるのも閻魔様でしょうか。
仏像のように、大きな閻魔様を見ていると、少々の事柄が、なんてことない些細なことのように意識の変化があるのは、どうしてなのでしょうか。これは、私の見方なのでしょう。あとは、学者の方の研究となってくるのでしょうか。
思想の楽しみ
あれこれと、考えて楽しむのは、誰にも迷惑をかけているのではありませんよね。
一人で思想に吹浸るのは、ある意味贅沢なことかもしれないですね。
生活費に四苦八苦し仕事に終割れていると、一人で思想に吹けることができる時間は限られてしまいますからね。
しかし、たまには、思想に浸るということも大切ではないでしょうか。神や仏がこの世に存在してもしなくても、自分の気持ちを自分でしっかりと、抱きしめて上げる時間を、無理にでも作る人用があると思うのは、老婆心とでもいうのでしょうか。
本日の振り返りや、日記をつける習慣があるといいですね。失礼。これも私の考えでして、それぞれの方が、それぞれの方法で、自分の思想を楽しめると人生も、もっと楽しくなると思うのです。